済州島は比較的若い島です。約180万年前、済州の海底で溶岩の噴出が始まりました。この頃、人類の祖先はすでに世界各地で生活を営んでいました。その後、溶岩は海面上にまで達して陸地を形成し、火山活動の結果、漢拏山(ハルラサン)やオルム(小さな火山)が生まれました。約4万年前の氷期には、海面が現在より低かったため、済州島は韓半島や中国、日本の九州と陸続きになっていて、人々や動物が自由に行き来していました。西帰浦市(ソギポシ)西帰洞(ソギドン)のセンスグェ遺跡は、済州に初めてやってきた旧石器時代の人々の痕跡を今に伝えています。当時の人々は主に洞窟や岩陰で生活し、狩猟や採集で得た食材を、石材を加工して作った石刃や細石刃などの打製石器で調理して食べていました。
約1万年前、最後の氷期が終わり、暖かい気候へと移行し始めました。これに伴い、常緑針葉樹の森は落葉広葉樹へと変わり、巨大な体を持つ動物たちは徐々に姿を 消しました。その頃、人々は動きの速い動物を狩るために、矢じりのような精巧な石器を作り出しました。このような北東アジアの新石器文化は、済州島でも見られます。済州市高山里(コサンリ)には、韓国で最も古い新石器時代の集落遺跡があります。ここから出土した 「高山里式土器」 は、韓国で発見された最古の土器として知られています。海面が上昇し、済州は再び 「島」 になりましたが、その後も韓半島の南海岸の人々は船で絶えず済州を訪れました。